ビリケンさん

ビリケンさんが気になったので調べてみました。

 バイキンマンは忘れ物かな?

ビリケンは、アメリカのフローレンス・プリッツという女性芸術家が、シカゴ美術展に出品し話題になった裸体の神像で、彼女が夢で見た幸福の神様が起源だそうです。

1908年(明治41年)ビリケンさんの姿はアメリカのパテント(特許権)として認められた。

その後パテント(特許権)が“the Billiken Company of Chicago”に売却され、本格的に商品化され爆発的な人気を得た。今の姿はこの時に確立され、そして“The God of Things As They Ought to Be”(万事あるべきままの神)すなわち“福の神”として、購入した者に幸運をもたらす神となったそうです。ビリケンさんは世界中に広まっていった。

1909年(明治42年)日本に渡米してきたビリケンさん
最初は個人的な繋がりから広まったようです。
1911年(明治44年)ビリケンさんを、商標として登録したのが大阪府池田市の繊維会社・田村駒株式会社(当時は神田屋田村商店)の田村駒治郎であった。七福神がビリケンさんを囲み「八福神」と銘打ったイラストを商品に添えるなどしで、“福の神”ビリケンさんは広まっていった。

1912年(明治45年)大阪の新世界にルナパークという遊園地が出来た時、人気のあったビリケンさんの像を祀った“ビリケン堂”が敷地内に建てられた。ビリケンさんの“初代”とされている。

1923年(大正12年)にルナパークが閉園となると、ビリケンだが所在不明に。行方不明になったそうです。なんでやねん。

それから通天閣にはびりけんさんは不在

1979年(昭和54年)、通天閣に「通天閣ふれあい広場」を作る際に復活され、この時は田村駒株式会社にあるビリケン像が招かれ、その後この像をモデルにして安藤新平が作製した木像が2代目として安置された。足の裏をなでると縁起がいいと親しまれてきた。

2012年(平成23年)通天閣が初代から数えて100年目を迎えた。通天閣リニューアルで5階展望台の改装を機に2代目は引退、3代目が米国のホワイトハウスを模した神殿の上にある台座に安置された。高さ60センチ、幅38センチ、奥行き41センチ、アメリカ生まれらしく、金箔(きんぱく)を張り付けた金髪となった。さらに、胎内には金箔でおおわれた「ビリ金さん」を安置、御利益を内側からも光らせる意味を込めて・・・かな

2013年(平成24年)通天閣のリニューアルと共にビリケンさんも3代目になりました。

調べていくと、びりけんさんは色々な所にいるらしいです。日本中に、世界中に、看板もあるし、置物も、お店の前にも、お土産にも、探して見ると楽しいかもしれないですね。

諸説あると思いますが、私が調べた感じでこんな感じでした。なかなか面白いです。
ビリケンさんの足の裏を撫でると願いを叶えてくれる。「ビリケンさんは手が短くて、お腹が出ているので足の裏に手が届きません。
その為、代わりに足の裏を撫でてあげるととても喜び、触ってくれた人の願いを叶えてくれる」と言われているのも面白いですね。助け合って、思いやって過ごす感じと言うか、優しいなぁって思います。

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