志々島との出会い (香川県三豊市)

志々島
香川県三豊市詫間町志々島

数年前に、母より志々島に行きたいとプレゼンされました。
『樹齢1200年の奇跡の楠。天災で幹が折れても生き残り、枯れてもおかしくない状態だったのに、葉っぱをつけ、幹を延ばすなどして生き延びている、生命力溢れる楠』テレビで見たそうです。
そして母は、「生きるための執念、計り知れない力、折れても生き抜く、真っ直ぐ育たず、色々な所に向かってでも、生きようとする生命力は見てみたい」と書いてました。そして、住所、どうやって行くか、どれぐらいかかるか、ゲストハウスまで、よっぽど行きたかったのでしょう。

しかしこの頃、コロナで他県出かけるのは厳しい時期で、私も仕事が忙しくてなかなか行けて無かった。今回は3人のタイミングがあって、母と姪と私で行くことが出来ました。

志々島は、詫間港(三豊市)の北西約5.5kmの海上にある標高109m余りの島。昭和初期、1000人の方が住んでおられたそうです。温暖な気候と漁場に恵まれ、かつては畑作と漁業で生計を立てていました。鯛や椿の宝庫で「黄金の島」と呼ばれていたり、島全体に花畑が広がり、真上から見るとそれは綺麗なパッチワークのように見えていて、かつて花の生産・出荷によって利益を得ていた「花の島」とも呼ばれていたそうです。後に回船業も盛んになり、瀬戸内海交通の要の1つとして数えられていました。


今ではわずか約20人に、このままだと志々島は無人島になってしまうと、3人の方中心に、島の方々がご尽力されているようで、今の志々島があるそうです。
そんな島を守るのは、樹齢1200年の楠(くすのき)。「大楠(おおくす)」私が今まで見てきた木の中で、大きいし四方に伸びた太い幹が神秘的で、その歴史も胸にしみます。自然災害を受けて埋まってしまった幹も、枝も折れたにも関わらず、今もなお生き続けてる奇跡の大楠。感じたことない、心が落ち着くというか、守られてるような、背中押されるような、不思議な気持ちになりました。一緒に行けた、母や姪に感謝です。

その他にも、志々島は、珍しい両墓制の習慣があったり、亡くなった人を埋葬する場所と、お参りする場所を別々にする両墓制って習慣があったり、それがカラフルな小さな家だったり、他では見ることない風景もありました。
『花の島』を復活させようと島民や地元の方が奮起していたり。観光客がゆっくり風景見えるように椅子があったり、机があったり、手作りの展望台があったり、泊まれる場所を作ったり、お茶出来る場所を作ったり、「志々島へ行こう、暮らそうプロジェクト」という移住のワークショップをしてみたり、1泊2日で志々島で「暮らす」ということを考えてもらうプロジェクトしてみたり、島を盛り上げた気持ちも行動も凄いと思います。実際に移住されたかたもいらして凄いです。島の方も、島以外の方も志々島が好きで、凄く力をあわせてて、移住者も少しずつ増えて、なかなかこのご時世出来ないとこだと思うのです。皆様優しく声をかけて下さり、志々島は凄い素敵な場所でした。出会えて良かったです。

たまたま、三崎めぐみ先生の音楽会があり、誘っていただき参加させていただきました。先生が素晴らしくて、凄く楽しかったです。
音楽療法士の三崎めぐみ先生、音楽療法士と言うお仕事を私は初めて聞きました。凄く良かったです。なぜ音楽療法士が少ないのか疑問にも思いました。凄く音楽療法は色々な場所で、多くの方が参加できるので、増えていただきたいです。調べると、現実は厳しいようですが・・・私は音楽が好きなので、増えて欲しいです。

感動し過ぎて、思いが強いので、自分でも書くまでかなり時間がかかりました。詳しくはまた後日書きます。
なんでも体験しないとわからないものですよね。特に私はそうなんです。母や姪、志々島、今回で会えた皆様に感謝です。一人では体験できなかったです。幸せな時間を過ごせました。ありがとうございます。

最後までご覧いただきありがとうございます。

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